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なよろ煮込みジンギスカン提供店
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なよろ畑自慢倶楽部2017
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なよろひまわりまつり
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智恵文沼

智恵文沼

  

「ひぶなの里」として釣りの穴場になっている有名な沼です。昭和の初めまでは北側に大きく蛇行する天塩川の流路の一部でありました。この周辺は常々水害に遇うことから、水路を西側へ切り替える工事(昭和14年)が行われました。それにより、大きな半月形の水溜りが生まれました。この水溜りを沼を造成して出来たのが現在の河跡沼なのです。今では、きれいに整備され、散策に、釣りに、多くの人に親しまれております。

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比翼の滝・晨光の滝

比翼の滝・晨光の滝

  

天塩川の支流「吉野川」上流にある兄弟滝。名寄市内中心部より道道美深名寄線を北へ向かって9km。智東三線林道に入り6km程行くと、6〜7mの高さから落下する「比翼の滝」を見ることができます。また、「比翼の滝」よりさらに約1km上流に「晨光の滝」があります。2つの滝の下流の吉野川沿いには駐車場や遊歩道があり、野鳥や植物の観察も楽しむことが出来ます。

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名寄鈴石

名寄鈴石

  

振ると音が鳴るので『鈴石』と呼ばれています。約10万年前にできた丘陵や合地の土中に産出する褐鉱石という鉱物の一種で、球または楕円形で3cm〜6cmほどのものが多く、まれに10cm〜15cmのものもあります。表面は凹凸があり、褐色。出来方はよく分かっていませんが、粘土質の地層中で鉄分と珪質分を多く含んだ浸透水が粘土や砂のかたまりの周りについて出来ていったものと考えられています。

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薬用植物資源研究センター北海道研究部

薬用植物資源研究センター北海道研究部

  

寒冷地に向いた薬用植物の研究を行う国の機関です。6月下旬〜7月上旬にかけて、赤・白・ピンクの大輪のシャクヤクが見事な花を咲かせます。見本園には100種類以上の薬草があり、季節の中で美しい色合いを見せてくれます。 (見学可能)

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日進湖畔

日進湖畔

  

760haの水田權漑水をまかなう周囲7.5kmの湖。399本のエゾヤマザクラが春風の中で可憐な花びらを咲かせる桜の名所です。高さ17mの記念塔からは風連の町を一望することができます。

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松浦武四郎宿営地

松浦武四郎宿営地

  

北海道の名付け親として広く知られています。安政4年6月4日 天塩川周辺の踏査をはじめて6月15日にナイフトで宿営します。アイヌの人を道案内に天塩川の上流と名寄川の上流まで調査し、6月23日にナイフトに戻って一泊して翌日帰路につきます。「天塩日誌」によりますと宿営は、アルヘイカの家で、家の中は焚火の煙がこもるようにした構造になっていました。これには理由があって「蚊や虻」の入ってくるのを防ぐ狙いであったこと、又、生活には「長いキセル・オヒョウニレの皮の厚司織・木皮の揺り籠」などが目についたと書かれております。

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佐藤正克越冬の地

佐藤正克越冬の地

  

開拓所の役人だった佐藤は、単身で天塩川筋の越年調査を行ったときの物語であります。 川は凍てつき道は雪に埋もれる、進むも引くも退がるも出来ない自然現象の大きな壁に阻まれて、この地で越冬することになったそうです。越冬の至難さは瞬く間に迫ってきました。それは越冬用の食料が、貯蔵方法の拙さで大半が腐り愕然とすることから始まったそうです。幸いにしてアイヌの人たちの親身の手援けにより野生動物の猟や川魚の釣りでその日その日を凌いだそうです。一方、アイヌの人たちと温かい酒宴を開いていたそうです。

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山形神社

山形神社

  

名寄団地解放令により、山形団体がこの地に鍬をおろしたので、名寄開基としました。  開拓に入った先発(明治33年6月)は13戸34人、厳しい開拓で挫けそうになったとき、今ではチョット考えられないほど「神」に対する信仰・心の拠り所として、同志の結束強化の語り場となる「神社」の建立は欠くことの出来ないものだったのでしょう。

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名寄教会

名寄教会

  

洋風建築(明治42年)としては名寄最古のもの、貴重な建物として末永く保存を願うものです。一方、名寄文学との関わりをもつ文士も多く、何らかの形で一文を見ることが出来ます。徳富蘆花は北海道(十勝・陸別町)に訪れたおり、名寄に立ち寄り「清楚な耶祖教会もみえた」と紀行集に載せています。森一歩は旧制名寄中学校在学中に教会に何度か足を運び、そこで得たものは大きかったようです。著書の中で「私達は、そこからジャガイモをごちそうになり、讃美歌を歌い、人生について語り、少女ともまったく打ち解けて、夢のような時間を過ごした」とあります。戦時下で援農や勤労奉仕の最中にあった少年文学者の息吹が爽やかに伝わってくる感じがいたします。

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名寄岩の銅像

名寄岩の銅像

  

名寄岩関の少年期はのんびり屋だったそうですが、旧制名寄中学校の頃は、何をするにも猪突猛進で柔道するにも相撲するにもだだひたすら押してす、引くことはなかったそうです。中学校卒業と同時に上京し「はり・灸」を学び、その1年後、何の転機なのでしょうか、相撲界に入門しました。(立浪部屋) 初土俵以来44場所を努め、40歳で引退するまで真面目、頑固一徹、一本木の「怒りの金時」として、その相撲ぶりは「右四つ・すくい投げ・吊り」の妙技はファンを魅了・熱狂させ、立浪部屋三羽カラスの一人とも言われておりました。名寄にこだわり、師匠から贈られた四股名「緑川」も辞退して、名寄に本名の岩壁の一字をとり「名寄岩静男」にしたといいます。名寄という地名を全国に広めた、貢献者と言えるのではないでしょうか。

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